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徴兵制度(ちょうへいせいど)とは国家が国民に兵役に服する義務を課す制度である。徴兵制とも言い、国民国家や国民皆兵の思想とかかわりが深い。自分の意思で兵士になった人を志願兵ないし義勇兵と言うのに対して、徴兵制度によって自分の意思によらず兵士になった人を徴集兵とよぶ。また応召兵(召集令状に応じて指定地に行く兵)や徴募兵(つのり集めた兵-正しくは志願兵のことで徴集兵をさすのは誤用-)、徴用兵(呼び出され用いられる兵)なども表現の文脈でしばしば使用される。

概要 徴兵とは国民に兵役の義務を課す事であり、徴兵制度はこの徴兵を兵役制度として組織化した制度を指す。これは募兵(志願兵)制度の対義語である。徴兵制において兵役は国民の義務的な負担として扱われ、国防への負担と貢献が求められる。徴兵制は軍隊に対する安定的な人材の確保が長期間に渡って容易であるものの、国民に対する負担は大きい。なお一般的には徴兵制度があっても志願入営は可能である。近年は、韓国や北朝鮮など一部の国家を除いて、殆どの兵役制度がある国家で良心的兵役拒否権が合法的に認められ、介護や医療、救急などの代替役務が制度化されている。 徴兵制度は殆どの場合、徴兵適齢の成人男性が対象となり、さらにその徴兵も兵役の適格性を調査するための徴兵検査を経て、その検査に合格した人材が徴兵される。また、代替役務などの選択肢が用意された徴兵制度は選択徴兵制と呼ばれることもある。 古来より兵役・戦役に応ずる事は市民の権利と密接に関係しており、徴兵制は男性のみに普通選挙権などの特権を与える根拠になってきた。現在では男女平等の観点から特権が廃止される傾向が強く、逆に男性のみに義務が発生することへの不平感があるという意見がある。 徴兵制度は宗教戦争の頃から、市民兵および市民社会の成立と軌を同じくし、18世紀のフランス革命(ジャコバン独裁期)の国家総動員において近代的な徴兵制度が成立した。19世紀にはフランスを模範としてプロイセンでも採用され、兵役制度として確立される。日本では1873年の徴兵令により確立され、イギリスやアメリカでも第一次世界大戦により徴兵制へ移行した。冷戦後では近代的な軍隊の制度に不適切となってきたため廃止または縮小する国が多く、何らかの事情により新たに導入する国はごく少数である。特に冷戦崩壊後にEUやNATOに加盟した東ヨーロッパの元社会主義国は徴兵制を廃止し、志願制に切り替えるケースが多い(チェコ、スロバキア、ハンガリーなど)。ただし戦争などの緊急事態に際しては徴兵を実施する可能性を残している場合もある。 徴兵制度の兵役義務は一般兵役義務と服役待機に分けられ、一般兵役義務はカタログギフト に入営を要求するもの(例:韓国の兵役)であり、服役待機は登録されるものの命令がない限り実際には入営しないもの(例:アメリカのSelective Service System)や、一定期間の一般兵役後にいつでも軍に復帰できるように待機することを義務化されているもの(例:ドイツ)などがある。

徴兵制度の歴史

古代 国民に兵役を義務として課す制度は、古代にまで遡る。中国では古くから存在し、日本では奈良時代に実施された(防人)。 古代ギリシャの都市国家においては兵役は参政権を有する自由民の義務であった。一方、女性や奴隷などの非自由民には課されなかった。 ローマにおいては資産の多寡により兵役の内容が細分化され、多額の資産を有する者はリサイクルショップ 神戸 、零細市民は安価で間に合う兵装、無資産市民は国家存亡の機を除き兵役の対象から外されていた。その後、マリウスの改革により一般市民の兵役は廃されて志願制となり、職業軍人化が進んだ。これによりローマは地中海世界を制圧する能力を得た。

中世 中世のヨーロッパでは、騎士や傭兵を中心としたリサイクルトナー だった。これは国王など貴族社会を中心とした制度で、国王が地方の領主・貴族の地位を保証する見返りとして軍事力を国王に提供する、あるいは財力によって軍事力を購入するという形式である。これとは別に自由民に兵役義務が課され、戦時に動員されることもあった。傭兵主力の軍隊は戦闘意欲に欠け、戦争を長引かせる原因となった。 中世の日本においても軍事力の中心は武士とその郎党であった。また僧兵も無視できない戦力を誇った。日本においては傭兵は目立つ存在ではないが、それに類する雇われ戦力(例えば海賊の類)は存在した。戦国期に入り戦乱が多発するようになると、農民などが足軽として参戦するようになる。織田信長は周囲と異なり常備軍を主力とすることで、農繁期に左右されることのない軍を作り上げ、勢力拡大に成功した。 さらに豊臣秀吉の刀狩り令により武士と非戦闘民は明確に区別され、これは江戸時代の終わりまで続いた。

近世 近世ではスウェーデンが三十年戦争時に徴兵制を採用し、人口の少なさを補いヒューマン を編成した。ただし、この制度には経済的・心理的負担が大きく、部隊の質が低くなりがちになる欠点があった。そのため結果として国民の離散・国家の荒廃を招くこととなる。プロイセン王国(ドイツ)ではフリードリヒ大王が軍事的拡張主義を採り、人口の4%に当たる常備軍を作ったが、このとき大規模な傭兵を養える財政が無く、志願制では数が満たせなかったために、1733年に徴兵制(カントン制度)を敷いて農民を強制的に軍隊に組み込んだ。この軍は質が悪く士気が低いため、厳罰主義によって規律を保とうとしたが困難であった。

近代 いわゆる国民皆兵による徴兵制はフランス革命から始まる。フランス革命以降、国家は王ではなく国民のものであるという建前になったため、戦争に関しても王や騎士など一握りの人間ではなく、主権者たる国民全員が行なう義務があるということになった。そして革命に伴う周辺諸国との戦争で兵員を確保する必要に迫られたため、ナポレオンなどによって国民軍が作られたのである。国民皆兵の制度はヨーロッパ諸国や日本に波及し、第二次大戦後は世界的に波及した。 近代に徴兵制が生み出されたのは、戦争の近代化に伴って兵器の威力が増して(槍と機関銃の死者数の違いを思い起こしていただけると理解しやすい)志願制では人員の補充ができなくなるほど戦死者が多くなったことと、国民主権の原理によって国民を戦場に駆り出す大義名分ができたのが主な理由である。アメリカは南北戦争の激戦によって大量の兵士が死亡し、その欠員を補うために徴兵制が敷かれた。イギリスでも第一次大戦半ばのソンムの戦いなどで多くの戦死者を出し、戦争を継続するために徴兵制を敷いた。 徴兵制度は本国の議会制定法と市民登録(日本では戸籍簿)を基礎に実施されるため、植民地には適用されないのが通例である。植民地で兵員確保を行なうにしても、一定の教育を受けたことや、植民地支配に協力的な民族や部族の成員であることを条件に採用する志願兵制によることが多かった。この点、短期間であるとはいえ植民地住民に徴兵制を実施した日本は異例である。兵役法改正によって1943年に朝鮮人に対して、1944年に台湾人に対して日本内地人と同様の兵役義務が課せられた。ただしこれらの植民地籍徴集兵は、戦争終結のため実際の戦闘に投入されることはなかった。

現代 戦争の近代化と兵器の機械化・精密化・自動化の進展は、少人数で高性能の兵器の運用が可能となったことから軍隊の省力化と定員の減少をもたらし、同時に兵器の運用技術の高度化・専門化を招いた。定員の減少によって大量の新兵募集は不必要となり、また1年から3年程度の勤務しかない徴用兵では学習期間の不足により高度化・精密化した兵器の運用に耐えられず、訓練にも費用が掛かり過ぎるなどの理由によって徴兵制度の存在意義は低下した。これを予言した軍人としてはド・ゴールが挙げられる。現代においては再び軍人の専門職化、つまり職業軍人の時代が到来したと言える。西ヨーロッパ諸国では冷戦終了後から2000年代初頭にかけて次々と徴兵制を廃止し、イギリス・フランス・イタリア・スペイン・ポルトガル・オランダ・ベルギーなどは志願制に移行している。旧社会主義国だったチェコやスロバキア、ハンガリー、ルーマニアもEUやNATOに加盟すると、ほぼ同時に徴兵制を廃止した。また、人海戦術の印象が強い中国やロシアでも、志願制への移行が本格的に検討されている。